この病気、「私」の向き合い方
Hさん(60歳代、女性)
看護師として働き盛りの中、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの発症が判明。
友人たちとの変わらない交流が支えに
ご親族にも、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチー*を発症した方はいなかったため、ご本人を悩ます体調不良の原因は、なかなかわかりませんでした。色々な検査を経て、ようやく確定診断に至りましたが、体調の悪化が進んでおり、長年勤めていたお仕事は辞めることに。つらい状況が訪れる中で、心の支えとなっているのは、優しい心遣いをみせてくれるお姉さんといつでも話を聞いてくれるご友人たちです。
病気のために不自由があっても、暮らしの工夫をし、楽しみを見つけながら、ほがらかに過ごされている日常について伺いました。
「遺伝性ATTR(ATTRv)アミロイドーシス」、「FAP(Familial Amyloid Polyneuropathy)」とも呼ばれています。
看護師として忙しく働きながらも
体調不良に悩まされていました
振り返ると、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーが発症したのでは、と思える時期は、今から10年程前のことです。ただ、足の親指が痛くなっただけだったので、もちろんそんな病気にかかっているなんて思いもしませんでした。当初は痛風かなと思っていて、症状が良くなった時期もあったので様子を見ていました。そのうちに、良くなるどころか、しびれが足首辺りにまで広がり、他の色々なところに痛みも出始めて。何よりもつらかったのは、下腿全体に冷感が強く出てきたことでした。少しでも症状を和らげようと岩盤浴に行ったこともあります。ところが温かい岩盤の上に寝ても、足だけは冷たく感じるほどでした。
当時、私は大学病院で看護師をしていました。その時は足の症状だけだったので腰の状態が悪くて足に影響が出ているのかと思っていて、勤めていた病院の整形外科で診てもらうことにしたのです。
ただ、私は元々心臓が悪くて、40歳代半ばには心臓にペースメーカーを入れていたのでMRIを撮ることができません。普通のレントゲン検査では異常はなかったのですが、MRIなしでは、腰の病気もはっきりと除外はできない状態でした。しかし、特にほかに考えられる病気も見当たらないということだったので、やはり腰が悪いのかなと思っていました。
複数の病に悩まされ続けた半生
最初は診断結果を受け入れられませんでした
整形外科に通って調べられるだけ調べ、処方された薬を飲んでも、症状が改善するどころか、手先にもしびれが出始めました。そこで脊髄造影の検査をしてもらいましたが、検査結果では、神経が圧迫されているところはないという診断が下りました。そうなると腰の病気は除外されるので、同じ大学病院内の神経内科に紹介状を書いてもらいました。この頃から「おかしいな。もしかしたら変わった病気なのかもしれない」と少しずつ思い始めていました。
神経内科では、まず入院をして、様々な検査をしてもらいましたが、それでも原因はわかりませんでした。退院後しばらく経った頃に、医師から「遺伝学的検査でトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーかどうかが調べられるので、病気を一つ除外するためにも検査をしたらどうか」と勧められました。すぐにその検査を受けることにし、やっと病名がはっきりしたのです。
告知を受けた時は、さすがに「どうして私ばかり」という気持ちになりました。ペースメーカーが入っている上に、これまで心房細動を起こして3回ほどアブレーションというカテーテルを心臓に挿入する治療を行ったこともあります。それに、左目はぶどう膜炎を発症しています。
看護師であり、熊本出身でもあったため、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーについては知っていました。
予後不良であることも知っていたので、すぐにインターネットで病気の研究や治療が現在はどのような状況なのかを調べました。未治療であれば、発症から約10年で死に至ると書いてあり、症状が出始めてからそのくらい経っていたので、ちょっと落ち込んでしまい、2、3日は眠れなくなりました。
ただ、性格的なこともあるのでしょうが、それほど長くは落ち込みませんでした。仲のいい友人たちに病名を打ち明けて、話を聞いてもらいました。友人たちは看護師が多いのですが、「そうなの」とあれこれ言わずにそばにいてくれて。そんな支えもあり、半年くらいはかかりましたが、病気を受け入れる気持ちになれたように思います。
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを
発症した親族はおらず、病気の遺伝の不思議さを実感しました
私の両親はトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを発症しておらず、知っている限り、親族にも発症者はいません。この病気の原因となる遺伝子に変異があったとしても全員が発症するわけではないことが現れていると思いました。
私には姉と甥、姪がいます。姉にはそれらしき症状はまったくないのですが、私の発症がわかった時点で「検査を受けたほうがいいのでは」と伝えました。姉は「自分に病気があると、自分のことよりも子どもたちのことが心配になる」と言って、検査を受けていません。婚姻先の親族への配慮もあるのかもしれません。姉も看護師なので神経内科の先生に話を聞いているようですし、医療関係者なので判断は任せようと思っています。
体調の悪化により、長年勤めていた病院を退職することに
暮らしにも変化が訪れました
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの発症が判明した後も、体調が悪くなる一方でした。
当時は、一度座ってしまったら足の感覚がなくなって、もう立ち上がれなくなるようになっていました。それと左目の視力がだんだん衰えてきて、職場で使うコンピュータ画面も非常に見づらくなりました。皆に迷惑をかけると思い、退職を決断しました。
それから6年程経ちますが、足も上がらなくなってきて、よくつまずくようになりました。3年前からは杖を使い始めています。
最近は指も真っ直ぐ伸びなかったり、指先の握力がだいぶ衰えてきたという自覚もあります。料理をして包丁を使うと、食べる時には力が入らなくて箸をポロポロ落としてしまうことがあるので、フォークに変えるなど工夫をしています。
家の中のADL※(Activities of Daily Living:日常生活活動度)は大切だと思います。私はお風呂場のリフォームをして、入り口の段差を小さくしたり、玄関や脱衣所、トイレに手すりをつけたりもしました。立つとふらふらして一人では真っ直ぐ立っていられない状態の時があるので、脱衣所や玄関に椅子を置いています。椅子や手すりで転倒予防になると思います。
※食事や着衣、移動、排せつ、入浴などの日常生活を送るために必要な活動の能力を指します。
その人のつらさや病状は、ほかの人にはわかりにくいので、家の中の対策をするにしても家族はオーバーだと感じるかもしれません。でも症状はだんだんと進んでくることも考えられますし、ちょっとした段差や坂でも私は足がつらく、重たく感じてしまって、足が前に進みません。仕事をしていた時、座って説明していると「あなたは元気でいいね」と言われたこともありますが、やはり見た目ではないので、周りの方にはそういうところをわかってもらえると嬉しいですね。
私の元気の源は
いつも気にかけてくれる周りの人たち
少しずつ症状が進んできているので、この先を不安に思うこともあります。今は甥と一緒に暮らしているのですが、いずれ甥は田舎に帰る予定なので、私は一人暮らしに戻ります。姉は車で数時間程の地域に住んでいて、そちらに引っ越してきたらと言ってくれたこともあります。しかし、私が今住んでいる地域には友人もたくさんいますし、都会なので交通の便が良く病院へ通うのも楽なので、ここでの暮らしを続けるつもりです。
予後を考えて「あと数年かな」と、友人たちに言ったこともあります。でも友人は「あなたは発症から10年超えているのだから」と言って励ましてくれます。
愚痴を言っても「うんうん、本当だね」と上手に相手をしてくれるのがありがたいですね。正論だとしても「でもね」と反論をされたりすると、やはり落ち込んでしまいますから。友人たちがいるから、気持ちが落ち着いているのかもしれません。
今は旅行やミュージカルの鑑賞、日常の散歩など、私に合わせて誘ってくれるので、それには甘えさせてもらっています。
栄養管理に気を付けているのに食べすぎたり、疲れすぎたりしてしまうこともあるのですが、友人にランチへ誘われたら出かけるようにしています。やはり少しは体を動かしたほうが調子も良く、ストレス発散になるので。
東京オリンピックの観戦も楽しみにしていることの一つです。
遺伝学的検査の大切さについて多くの人に知ってもらいたいと思います
看護師として病院で働いていた時に、一度だけトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの患者さんにお会いしたことがあります。その方は消化器症状があり、私の症状とはまったく違っていました。
この病気に関する情報を得るために、大学病院などのホームページを見ることがあるのですが、病気の概要に関することは書かれていても、実際患者さんにはどういう症状が出て、具体的にこうなる、それにはこのような治療をしている、という説明はありません。同病の方が参考にしやすいように、こういった情報が充実するといいなと思っています。
また、遺伝学的検査があるということを知らずに過ごしている人もいるのではないかと思っています。私は看護師だったので、病名は知っていましたが、それでも腰から来る病気だと長年思いこんでいたくらいですから。遺伝学的検査について認知度が高まれば、早期の診断に結びつくことも期待できるのではないでしょうか。
この病気は患者数が少ないので、私が生きている間に新しい治療薬はできないのではないかと思っていましたが、新しい薬も出て、治療の進歩を感じています。体は少しずつ衰えていますが、今の状態を維持できれば、自分が思っているよりも長く生きられるのかもしれないなと思い、希望につながっています。
内容は、2019年8月インタビュー当時のものです。