この病気、「私」の向き合い方
治療薬の効き方には個人差があり、すべての患者さんで同じような効果が得られるわけではありません。
Mさん(70歳代、女性)
身近に同病者もおらず、診断にショックを受けるも、医療関係者とよいコミュニケーションをとりながら、家族のサポートや視点の変化を通じて、楽しめる趣味を再開
活動的で多くの友人たちに囲まれ、街道歩き仲間のリーダー的役割などを果たされてきました。70歳代に入ると目の不調を感じるようになり、検査続きの日々が始まることに。それから約半年後にトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチー*と診断され、その頃には心臓にペースメーカーを入れ、手足にはしびれも出るようになっていました。同病のご親族はいないため、戸惑うこともあったそうですが、ものの見方を変えながら、楽しみを取り戻そうとされています。
「遺伝性ATTR(ATTRv)アミロイドーシス」、「FAP(Familial Amyloid Polyneuropathy)」とも呼ばれています。
この病気が難病であることを知った時はショックでした
しかし、医療関係者の皆さんとの出会いに恵まれ、今を過ごせています
最初に異常が現れたのは目でした。当時は、白内障の手術をしてからあまり時間が経っていなかったので、そのせいかもしれないと思っていました。しかし、近所の眼科へ行くと、目の乾燥がひどいとのことで、すぐに隣町にある市民病院の眼科を紹介されました。そこでドライアイを改善する薬をもらうために、しばらくは通院をしていたのですが、片方の目は白内障の手術後によくなっていたのに対して、もう片方は違和感が残っていたため、次に大学病院を紹介されて精密検査をすることになりました。その結果、目にアミロイドのようなものがあることがわかったのですが、病名の診断にまでは至りませんでした。
心配になったので、かかりつけの内科の先生にも相談をしてみると「こういうケースは総合内科がいいよ」と言われて、今度は大学病院の総合内科を紹介していただきました。それから1ヵ月半ほど入院して全身の検査をしてみると、心臓がよくないことがわかり、ペースメーカーを入れることになりました。しかし、この時点でもまだ病名はわからないままでした。無事に手術が終わり、退院後に循環器内科の先生に経過を診ていただいたところ、「トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーという、難病に指定されている病気かもしれない」と言われました。その後、今でも診ていただいている脳神経内科の先生に検査していただき、この病気の確定診断を受けました。
この病気の治療を始めたのは2021年2月です。白内障で手術をしたのが2020年の6月頃だったので、あまり時間が経たずに診断がついたほうかもしれません。診断を受けた時は、この病気が遺伝性であるということよりも、難病であることを知ってショックを受けました。ただ、どの先生も冷静に対処してくださって、欲しい情報もくださるので、心の支えになりました。病気に対する治療が始まり、不安なこともありましたが、先生方や看護師の方々はおしゃべりな私に診察中でも気さくに応じていただき、楽しい会話ができています。診療を担当してくださる医療関係者の皆さんとの出会いに恵まれ、今を過ごせていることに感謝しています。
若い頃に時折感じた異常な疲れが
病気の予兆だったことに気がつきました
思い起こしてみると、目のほかにも、20年程前からこの病気の症状らしきものは出始めていたかもしれません。
私は長年、趣味で街道歩きをしていました。一人ではなく、友人たちと一緒にグループを作って外に出歩くことが楽しみの一つでした。街道歩きというくらいですから、ハードな山岳登山をするわけではありません。あっても小さな峠を越す程度なのですが、案内役をしている私のほうが疲れ果ててしまって、「あそこが峠の一番上なので、先に着いたら待っていてください」と声をかけなければいけないことが何度かありました。今考えれば普通の状態ではなかったのですが、当時は異常だと自覚できていませんでした。自分はただ疲れているだけ、動きすぎているだけ、と思い込んでいました。
親族で同病の人は見当たらず、
どうして私だけが・・・と思うことも
自分が発症してから、初めてトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーという病名を知りました。私の記憶では、両親や親族の中で同じ病気にかかっていた人、少なくとも診断を受けた人はいません。私の兄弟も高齢なので体調の不安は増えてきましたが、今でもみんな元気です。
共通点があるとしたら、母がペースメーカーを入れていたことです。母は心臓が悪く、比較的若い頃からペースメーカーを使用していました。ただ、それがこの病気の影響だったのかどうかは、今となってはわかりません。ほかに、母方だけではなく、父方を見回しても、この病気らしい人は見当たりません。私は結婚して地元を離れてしまったので、ただ単に気づかなかっただけかもしれませんし、社会的にこの病気が認知されていなかった時代だったとも考えられるのですが。どうして私だけがこの病気になってしまったのかとつらい気持ちになる時もありました。
私には子どもたちがいて、甥や姪もいます。若い世代の親族は、誰も発症していません。自分の子どもに関しては、医師からも検査の提案をされました。しかし私の考えでは、自分の子どもでも強制的に検査させるものではないと思っています。子どもたちは仕事が忙しく、今のタイミングでは検査をしないと言っています。甥や姪も、自分たちの子どもに遺伝する可能性があることはきちんと理解しています。その上で、検査はまだ受けるつもりはないようです。私の兄弟にあたる、甥や姪の親たちも発症していないので、切迫感がないのかもしれません。また、遠方に住んでいますし、これ以上私から働きかけるのも難しいので、兄弟を通じて情報共有をしている状態です。
症状は一進一退の繰り返し
食事を工夫したり、運動したりして日々暮らしています
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの治療は続けていますが、自身の感覚では、症状は一進一退を繰り返しているといった感じです。例えば、しびれは、朝・夕の時間帯や天気の影響で少しひどくなる場合もあります。最近は週に3回くらい近所を歩いていますが、歩くのが楽な日もあれば、そうでない日もあります。しびれは、最初は足裏から始まり、今では手のひらや指先にもあります。また、握力など全身の筋力が低下したり、熱いものを手で触った時の感覚が鈍ったりもしてきています。
また、お通じがスムーズにいかないので、内科で薬を処方してもらっています。ただ、お通じに関しては、食事が基本になると思っているので、本当は美味しいものを食べたいのですが、体に良いものを優先して選ぶようにしていて、3食すべてでタンパク質と野菜を摂るように心がけています。
あと、以前にヨガを習っていたことがあるので、その時のことを思い出しながら朝にヨガをして体をほぐすことがあります。そうすると体が目覚める感覚があります。病院の先生からも、節々を動かすようにしたり、筋力を強化したりするための体操法を教えてもらうことがあるので、色々な方法で体を動かすようにして自分を助け、日々暮らしています。
まだ病気を受容できない部分もありますが
ものの見方を広げて、楽しみを再開していきます
今は夫と二人暮らしをしています。夫は、通院時に車で送迎をしてくれたり、家事を手伝ってくれたり、私の趣味だった庭づくりを引き継いでくれたり、言葉数は多くはありませんが、とても協力的です。本当に日々感謝をしていて、これからも二人で助け合いながら生活をしていきたいと思います。
まだ心が落ち着かず、病気になったことを不本意に感じてしまう時もあります。でも、そう思うのは、人生を諦めているわけではないからだと自分では解釈しています。私は街道歩きなどアクティブな趣味が多かったのですが、「ものの見方を広げよう」と、今の自分ができることについて考えてみました。例えば、私は油絵も15年程やっていて、大きな画壇に出品することを目標に、港や山頂での風景画をよく描いていました。風景をスケッチしに行くことは難しくなったため油絵道具は処分しましたが、水彩のものは残っていて、目の前には草花もあります。絵は自分の感性で自由に描けるため、水彩画で再開しようと思えるようになりました。
自分がこれまで親しんできたことへの間口を広げるだけで、まだまだ楽しめることがあります。私なりの楽しみ方をやっと見つけることができるようになった感じです。
内容は、2022年6月インタビュー当時のものです。