この病気、「私」の向き合い方
Nさん(50歳代、女性)
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーのためにつらい時があっても、「つらいのは私一人だけじゃない」という気持ちがパワーの源
妊娠中に感じ始めた体の異変。3回目の出産を終えた後に検査を受けたところ、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチー*の発症が確定しました。治療が難しいことを理解した上で、ご家族の励ましと、お子さんたちとの暮らしへの望みを胸に、肝移植を決意。発症前と同じようには体を動かせないもどかしさを感じつつも、ご家族や周りの方のサポートを得て、今もいきいきとした日常生活を送られています 。
「遺伝性ATTR(ATTRv)アミロイドーシス」、「FAP(Familial Amyloid Polyneuropathy)」とも呼ばれています。
妊娠中に体調の異変を感じ
出産後に検査を受けることに
私は父を同じ病気で亡くしています。父が亡くなった時に母から遺伝性の病気だったことを聞かされましたが、なぜか私の家系は男性ばかりが発症していたので、「あなたは大丈夫よ」とも言われていて、私もそう思い込んでいました。
結婚後、20歳代後半で1人目の子どもを、30歳代に入ってから2人目を授かりました。そのころからひどい便秘と下痢を繰り返すようになりました。足が一年中冷たくて、むくみもひどかったのですが、どれも妊娠中はありがちな症状だったので、あまり気にしていませんでした。
当時、私の弟がトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを既に発症して療養生活に入っていました。父の症状も間近で見ていましたが、「お腹がつらい」「足がしびれる」「痛い」といった弟の初期症状を目の当たりにして、やはり自分の状態もこの病気が原因なのでは......と思うようになったのです。インターネットで病気のことを調べると、50%の確率で性差なく遺伝するということもわかりました。
その後3人目の妊娠がわかり、いよいよしびれや冷えが強くなってきたので遺伝子診療部へ相談に行きました。
しかし「妊娠中に病気が判明しても、不安が増すばかりで何もいいことはない」と考え、出産後に症状が治まらなければ改めて検査をすることにしました。無事に出産を終えましたが、半年が経っても、相変わらず足のしびれやむくみ、ふらつき、便秘と下痢を繰り返す交代制便通異常などが続いていたので、大学病院で血液採取による遺伝学的検査と、お腹の脂肪を取ってアミロイドが沈着していないかを調べる検査を受けました。
結果として、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーと確定診断されたのですが、ショックというよりは、この何ともいえないつらい症状の原因がわかり、自分でも納得したような気持ちが強かったです。
子どもたちの成長を見守るために
肝移植を決意しました
検査でわかったのは、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを発症してから、おそらく3年は経っているということでした。乳幼児を3人も抱えている中、「治療をしなければ、10年も生きられない 。さぁ、どうしよう」と考えました。
当時50歳代後半だった母が「私がドナー(臓器提供者)になってあげるから、絶対に肝移植を受けなさい」と言ってくれたことは、頑張ろうと思えたきっかけの一つです。私の弟が発症した時にも、肝移植による治療は行われていたのですが、弟は「動ける時に自分の好きなことをやりきろう」という考えを持っていたので、移植を受けませんでした。そして、母と一緒に私の手術を応援してくれました。
夫は、私が確定診断を受けた時、とてもショックを受けていました。この病気の家系だということは結婚前に話をしていましたが、私の発症がわかった時には、すぐに何とかしなければと自分がドナーになることも考えてくれたようです。ドナーが母に決まってからは、夫はサポートに専念しようと切り替えてくれました。私も夫に対しては申し訳ないなと思いながらも、「家族みんなでいい方向に進んでいけるように、助け合っていきましょう」と話し合いました。
手術前に夫の実家に移り住んで、夫の両親にも助けてもらいました。私が手術をした時、一番下の子はまだ1歳半で最も目の離せない時期でしたが、サポートをしてくれる人がいてくれたおかげで、私も治療に専念することができ、ありがたかったです。
医師や臓器移植コーディネーターの方の言葉が
不安な気持ちを和らげてくれました
肝移植の手術はドナーのコンディション調整のため、確定診断から約1年後に受けました。大学病院では「初期に見つかって、とても早い時期に手術を受けられたほうですよ」と言ってもらえました。
振り返ると、確定診断を受けた時に検査をしてくれた医師が「早く来たね。大丈夫だよ」と言葉をかけてくださったことが、とても心強かったですね。言葉の受け取り方は人それぞれ違うのでしょうけれども、私はその一言で「何らかの治療のチャンスはあるんだ」と感じました。
また、担当の臓器移植コーディネーターさんが、とても丁寧な方で、レシピエント(臓器を受け取る患者)である私やドナーである母に、「何か不安なことはないですか?」と常に聞いてくださいました。先生方の話す医療用語やデータはわからないことも多いのですが、いつもしっかりとフォローをしてくださいました。一緒に前向きに考えてくださっているという姿勢に勇気が持てましたし、落ち着いて準備もできました。術後も何かあれば相談に乗ってくださり、とても大きな存在でした。
同病の方や研究を進める先生方の存在が
「私は一人だけで苦しんでいるのではない」と思わせてくれます
肝移植を受けた後も、それまでに現れていたトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーによる症状がなくなることはありませんでしたが、病気の進行は緩やかになり、ありがたいことに子どもたちの授業参観や運動会に行くこともできるようになりましたし、今でも自分自身で身の回りのことはできています。
退院後は、入院中安静状態が続いたこともあり筋力が低下してしまって、子育て中なのに体が思うように動かず、立つのも歩くのもやっとで、歯がゆさがありました。体がうまく反応しないことに苛立ちを覚えても、「これくらい動ければ、まぁいいか」と自分の中で妥協できるレベルになったのは、術後1年半から2年ほど経ったころでした。もちろん病気になる前のようには走れないですし、軽く歩いて移動するだけでも他のお母さん方についていけないため、子どもたちの学校行事では申し訳ない気持ちもありつつ、自分は自分、マイペースでいこうと割り切ることも必要でした。
今は、大学病院で知り合った同病の方たちと、色々な症状やその対処法について共有したり、子どもたちへの接し方などを話し合ったりすることもあります。耐えられないような痛みの症状に襲われ、やり過ごすしかない時もあります。そんな時、同病の方や、病気を治そうと研究を進めてくださっている先生方の存在が「私は一人だけで苦しんでいるのではない」と思わせてくれるので、パワーの源となっています。
私も、同病の方がより良い生活をしていくための一助になりたいと思っています。病気だからできないという思考ではなくて、病気だからこそ得られるチャンスというのもあると思っています。将来的には、子どもたち、次の世代がこの病気だからと気にせずに日常生活や社会生活を送れるようになることを期待しています。そのために役立つことがあれば、大小にかかわらずにやっていきたいと常に思っています。
内容は、2019年10月インタビュー当時のものです。