この病気、「私」の向き合い方
Tさん(50歳代、男性)
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを発症しても早期発見・早期治療のおかげで「一病息災」と言えるような今がある
お祖父さんやお父さん、そのご兄弟など、ご親族がトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチー*を発症したことから、病気の存在については若い頃からご存知でした。ご自身の早期診断のきっかけとなったのは、医師であり、この病気で配偶者を亡くされた叔母さんから遺伝学的検査を勧められたことでした。
ご親族のつらい闘病生活を長年間近で見ていたので、この病気がわかる検査と対峙するのは苦しい決断でしたが、早期発見・早期治療に繋がりました。今も以前と変わらずお仕事で忙しい毎日を過ごしている中、「同病の方のために何かできたら」という思いに至った経緯について、お話を伺いました。
「遺伝性ATTR(ATTRv)アミロイドーシス」、「FAP(Familial Amyloid Polyneuropathy)」とも呼ばれています。
祖父の闘病を見て
遺伝性の病気の存在を知りました
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーのことは、かなり昔から知っていました。父方の祖父が発症して闘病をしていたからです。当時、自分にも遺伝している可能性があると聞いた時は、「もしかしたら」という程度で、深刻な気持ちにはなっていませんでした。
それからしばらくすると、父やその兄弟たちも次々とこの病気を発症し、私は彼らの苦しい闘病生活を目の当たりにすることになりました。父は70歳で、父の弟二人は60歳代で亡くなりました。父の妹は、心臓にペースメーカーを入れていますが、治療のおかげで今も存命です。
亡くなった父の弟、つまり私にとって叔父にあたる人が医師をしていました。その配偶者、つまり私の叔母も医師で、叔母には「一度、遺伝学的検査を受けたほうがいいよ」と勧められました。息子の代の私やいとこたちが40歳代になった頃でした。
しかし、すぐ検査に行くことはできませんでした。特に症状はなかったですし、何よりもやはり怖かったのです。父や叔父たちは10年ほど闘病をしていましたが、どんどん衰えていく姿をそばで見ていました。叔母からは「いい薬が出たから」とも聞いていたのですが、そんな父親たちの苦しみを見ていたので、なかなか決断できませんでした。
立ち向かう決意を持って
遺伝学的検査を受けました
結局、叔母から勧められた後、遺伝学的検査を受けるまでに半年以上の時間が必要でした。私より先にいとこの二人が大学病院で検査を受けました。そのいとこたちは幸いなことに「陰性」という結果でした。いとこから検査を受けた話を聞き、その行動に後押しされるように、私も検査を受ける決意をしました。かなり悩みましたが、病気には立ち向かうべきであり、前に進むべきだと決心ができたからです。
いとこが検査を受けた大学病院の同じ先生に問い合わせをして、検査を受ける段取りを済ませました。その時点で、妻には「大丈夫なのだけれど」と前置きをしつつ、家系的な病気の可能性があるという話をしました。自覚症状がほとんどなかったこともあるからかもしれませんが、家族は何も言わずに受け入れてくれました。
検査の結果は「陽性」。残念ながら私はトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの原因となる遺伝子変異を受け継いでいることがわかりました。その際に発症もわかったのですが、ちょうどアミロイドが溜まり始めた時期だったようで、すぐに薬物療法を開始しました。
確定診断のショックを乗り越えて
前向きにとらえる努力をしています
トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの確定診断が出た時は大変なショックを受けました。父親の闘病を間近で見ていたので、どんなふうにして弱っていき、亡くなっていくのかを知っていたからです。親族も同じ病気でたくさん亡くし、それが決していい死に方だとは思えなかったので「私もそうなるのだな」と考えさせられました。
治療薬が、果たして自分に効果が出るのかも不安でした。周囲と話す時は「大丈夫だから」と言っていたのですが、例えばお酒を飲んだ時など、ふと気分が落ち込んでしまう瞬間がありました。そんな状態が2~3年ほど続いたと思います。
この病気がわかって7年が経過した今では、すっかり気持ちも落ち着きました。年に一度専門医のいる大学病院で1週間の検査入院をして、体の隅々まで調べてもらっていますが、ほとんど進行していないということが確認でき、薬が効いているのだなと自分でもわかってきたのが大きいですね。
もちろん、この病気のことをまったく気にしないということではないのですが。
検査入院のほかに、半年に一度は、検査をしていただいている専門医のところを訪れ、自宅近くの大学病院にも2~3ヵ月に一度のペースで通っています。競技としてのスポーツをしないように言われているくらいで、お酒もよく飲みますし、特に節制を強いられていることもありません。
「一病息災」という言葉もありますし、病気を持っているということが、自分にとっては悪いことではないのかもしれないと思えるようになりました。定期的な検査のおかげで、他の病気のチェックや、日頃の不摂生の軌道修正もできているとプラスに考えられるようにまでなりました。
叔母の強い思いと行動が支えとなり、
他の親族へ自分から働きかけるようになりました
私に検査を勧めてくれた叔母によると、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの治療薬があるとわかった時、配偶者である叔父は、寝たきりに近い状態でした。叔母は薬の使用を勧めたそうですが、叔父は断ったそうです。
それからしばらくして叔父は亡くなりました。叔母は医師としても、治療に対する強い思いがあったからこそ、いとこや私に検査を受けるように積極的な働きかけをしてくれたのだと思います。
叔母の強い思いが表れていることが、もう一つあります。私たちの先祖をずっと辿って病気について調べた非常に細かい家系図を作ってくれているのです。私の父の兄弟のところまでは、誰がどのような病気で、どのように亡くなったかというのがすべてわかっています。
家系図により、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーが私の親族にどのような経過をもたらしたのかが一目瞭然です。50歳代で多様な症状が出ている人が多く、ほとんどが心臓を悪くしてペースメーカーを入れていて、腎臓が悪くなった人もいます。この病気は目の症状を引き起こすケースもよくあるようですが、私の親族の場合、それはないようです。
叔母が医師として検査を勧めてくれたり、家系図を作ってくれたりしたことは本当にありがたく、その繋がりにはいつも感謝をしています。それで、自分ができることは何だろうと思い、いとこの中で私が一番年長なので、親族間でネットワークを作ろうとしました。やはり家族みんなで立ち向かっていかなければいけない病気ですから。
いとこ世代の中では一番早く発症したこともあり、最初は毎年の検査結果をみんなに知らせていました。ありがたいことに7年経ってもほとんど進行していないので、もうネットワークをお休みしてもいいかなと思える段階になりました。付き合いのある親戚には検査の重要性は一通り伝えられたので、今は小休止している状態です。もし何か変化があれば、また再開しようと思っています。
同病の方の励みになるような活動が
自分にもできればと考えています
私には娘がいるのですが、学生だということもあって、この病気の話は、まだしていません。私の考えですが、人は個人では強いわけではありません。自分の娘が強いタイプだとは思えないし、今の年齢で知ったら、かなり落ち込むでしょう。また、もう一つ理由があります。10年後、20年後になれば、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーが普通に受け止められるような病気になっているのではないかとも考えているのです。
がんで例えてみると、以前は不治の病とも言われていたのが、発症しても完治するケースもある、というふうに変わってきていますよね。それと同じように、この病気も治る薬ができるかもしれませんし、検査ももっと楽になっているかもしれません。医療環境も急速に変わってきているので、娘に伝えるのはもう少し先でもいいのかなと考えています。
もちろん、この病気は早期発見・早期治療が大切だということは十分にわかっているので、体験談をお話しするなど、自分にできることがあればやっていきたいと思っています。ただ、親族以外では同病の患者さんと知り合う機会もなく、誰とも繋がりはないのが現状です。
年に一度の検査入院の時に、同じ病棟や病室で同病の方と出会うことはありました。症状の重い方も多く、「何で入院してきたの?」「そんなふうには見えないね」と言われることも。そう考えると、様々なことに挑戦していく姿を見せるのが、自分にできる一番のことかもしれません。
少し前に、水泳選手がご自身の病気を公表されましたよね。同病の方は特に勇気づけられたと思います。私は早期発見・早期治療ができたので、それまでと変わらない日常生活を送ることができています。それはありがたいことですが、自分一人だけが良い思いをしただけでは何も変わりません。一日でも早く病気を知って治療を開始する方が一人でも増えてほしいので、何かお手伝いができればと考えています。
内容は、2019年8月インタビュー当時のものです。